中央アジア / トルコ系民族と草原の覇権 2 / 6

ウイグルとソグド人

ウイグルとソグド人

744年に突厥を滅ぼして草原の覇者となったウイグルは、ソグド人と深く結びつきながら東西交易を支配しました。またマニ教を国教として採用した唯一の遊牧国家として知られます。

ウイグル帝国(744〜840年)

  • モンゴル高原を支配し、中国(唐)との関係を「絹馬交易」で緊密化
  • 絹馬交易:唐がウイグルの馬と引き換えに大量の絹を支払う取引。ウイグルが一方的に有利な条件を唐に強いた
  • 762年:マニ教を国教として採用(遊牧国家初のマニ教国家)。ソグド人マニ教徒の影響による
  • 840年:キルギスの侵入で崩壊。一部は中央アジア(甘州・天山方面)へ移住

ソグド人との共生

  • ウイグルの政治・軍事力とソグド人の商業ネットワークが組み合わさり、中央アジアの交易を支配
  • ウイグルはソグド文字を採用し、ウイグル文字を整備した
  • ウイグル文字は後にモンゴル帝国に採用され、モンゴル文字・満洲文字の祖先となった
📘 重要事項
ウイグルのマニ教採用:762年、唐の安史の乱(755〜763)で苦境に立つ玄宗・粛宗を救援したウイグルのカガンが、戦後の講和でマニ教の国家保護を唐に要求。これによりマニ教寺院が長安に建設された。遊牧国家が特定宗教を採用した珍しい事例で、後のトルコ系民族のイスラーム化とも対比される。

高昌ウイグル王国

帝国崩壊後も中央アジアのトゥルファン(高昌)やカラコジョを拠点に高昌ウイグル王国(9〜13世紀)が存続しました。農耕オアシス定住文化に移行し、仏教・マニ教・景教が共存する多宗教の文化を育みました。多数の写本・壁画が残り、シルクロード文化研究の重要な史料となっています。

練習

  1. ウイグル帝国が唐との「絹馬交易」で有利な立場を保てた理由を答えなさい。
  2. ウイグルがマニ教を国教にした経緯を、「安史の乱」という語を用いて説明しなさい。
  3. ウイグル文字の歴史的意義を、後世の文字との連関を示して説明しなさい。

このレッスンのQ&A

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