ティムール朝とサマルカンドの繁栄
14世紀末にチンギス・ハンの後継者を自称するティムールが中央アジアに建てた帝国は、征服と破壊の一方でサマルカンドをイスラーム文化の最高の中心地に育て上げました。
ティムール(1336〜1405)の覇業
- チャガタイ・ハン国の将軍出身。トルコ系でモンゴル帝国の後継を自称しつつスンナ派イスラームを信奉
- 1370年:中央アジアを統一しサマルカンドを都とする
- イラン・インド北部(デリー略奪1398年)・シリア・アナトリアを次々征服
- 1402年:アンカラの戦いでオスマン帝国のスルタン・バヤジット1世を捕虜にし、オスマン帝国を一時混乱に陥れた
- 征服地の職人・建築家・学者をサマルカンドに強制移送し、都市の美化に活用
サマルカンドの黄金時代
- レギスタン広場:3棟の壮麗なマドラサが向かい合う世界的建築群(現在ユネスコ世界遺産)
- ペルシア語文学・書道・細密画(ミニアチュール)・陶器工芸が開花
- ティムールの孫ウルグ・ベク(在位1447〜1449):天文台を建設し精密な星表(1,018個の恒星位置)を作成した天文学者・君主
- ヘラート(現アフガニスタン)もティムール朝文化の中心として繁栄し、ペルシア語詩人ジャーミーや細密画の大家ビフザードが活躍
📘 重要事項
ティムール朝の遺産:ティムール帝国はティムールの死(1405年)後すぐに分裂・衰退したが、孫バーブルが逃れてインドでムガル帝国を建国した(1526年)。また中央アジア・イランのペルシア語文化の洗練はティムール時代に頂点を迎え、後のサファヴィー朝やムガル朝の宮廷文化の基盤となった。
ティムール朝の遺産:ティムール帝国はティムールの死(1405年)後すぐに分裂・衰退したが、孫バーブルが逃れてインドでムガル帝国を建国した(1526年)。また中央アジア・イランのペルシア語文化の洗練はティムール時代に頂点を迎え、後のサファヴィー朝やムガル朝の宮廷文化の基盤となった。
練習
- ティムールが首都と定めた都市と、そこに現存する代表的な建築物群を答えなさい。
- ウルグ・ベクの学術的業績を具体的に答えなさい。
- ティムール帝国の文化的遺産がその後のどの王朝へ受け継がれたか、2例挙げなさい。