ソ連解体と5カ国の独立
1991年12月のソヴィエト連邦崩壊により、中央アジアの5つの共和国は一斉に独立を宣言しました。ただしその独立は「革命」ではなく、旧共産党エリートがそのまま新しい国家の指導者となる形で進みました。
ソ連崩壊の経緯
- 1985年:ゴルバチョフがペレストロイカ(改革)・グラスノスチ(情報公開)を開始
- 1989〜1991年:東欧諸国が次々と共産主義体制から離脱
- 1991年8月:モスクワでクーデター未遂(保守派のゴルバチョフ拘禁)→エリツィン主導で失敗に終わる
- 1991年12月25日:ゴルバチョフが辞任。ソ連正式解体。15の連邦共和国が独立
中央アジア5カ国の独立
- カザフスタン(カザフ語圏・石油・天然ガス資源大国。首都ヌルスルタン←アスタナ)
- ウズベキスタン(最大人口・サマルカンド・ブハラの歴史都市。綿花・天然ガス)
- トルクメニスタン(中立国・天然ガス埋蔵量世界4位・独裁的政治体制)
- タジキスタン(イラン系タジク人が多数・独立直後に内戦1992〜97年)
- キルギス(山岳国家・比較的開放的な政治体制・「チューリップ革命」2005年)
📘 重要事項
「旧共産党エリートの継続」問題:中央アジア5カ国ではソ連時代の共産党第一書記がそのまま初代大統領に就任したケースが多く(カリモフ・ウズベキスタン、ニヤゾフ・トルクメニスタンなど)、形式的な独立にもかかわらず政治権威主義が続いた。これを「エリート継続型独立」と呼ぶことがある。
「旧共産党エリートの継続」問題:中央アジア5カ国ではソ連時代の共産党第一書記がそのまま初代大統領に就任したケースが多く(カリモフ・ウズベキスタン、ニヤゾフ・トルクメニスタンなど)、形式的な独立にもかかわらず政治権威主義が続いた。これを「エリート継続型独立」と呼ぶことがある。
独立後の課題
突然の独立は政治・経済・社会のあらゆる面で深刻な混乱をもたらしました。GDPの急落・ハイパーインフレ・貿易ネットワークの断絶・旧ソ連軍人員の処遇・ロシア語教育から民族語教育への転換など、多岐にわたる「移行期」の問題に直面しました。
練習
- ソ連解体の直接的なきっかけとなった1991年8月の出来事を説明しなさい。
- 中央アジア5カ国の名前をすべて挙げ、それぞれの特徴を1つずつ答えなさい。
- 「旧共産党エリートの継続」とはどういう意味か、具体例を挙げて説明しなさい。