自由主義とナショナリズムの高揚
ウィーン体制が敷かれても、自由と民族の権利を求める動きは止まりませんでした。1830年代・1848年には革命の波がヨーロッパ全土に広がります。
1830年革命と七月革命
1830年、フランスで七月革命が起こりました。シャルル10世が言論弾圧・議会解散などの反動的政策を取ったことへの反発で、パリ市民が蜂起。シャルル10世は退位し、立憲君主ルイ=フィリップ(七月王政)が即位します。この七月革命はヨーロッパ各地に波及し、ベルギーがオランダから独立(1830)、ポーランドでも蜂起(ロシアに鎮圧)が起こりました。ナショナリズム(民族意識・民族独立への意志)と自由主義(立憲政治・言論の自由)が合流した運動として注目されます。
📘 1848年革命の広がり
フランス:二月革命→第二共和政→ルイ=ナポレオン大統領(後に皇帝ナポレオン3世)
オーストリア:ウィーン三月革命→メッテルニヒ亡命
プロイセン:ベルリン三月革命→国王が一時屈服
ハンガリー:コッシュートが独立宣言→オーストリアに鎮圧
イタリア:各地で蜂起→いずれも鎮圧
フランス:二月革命→第二共和政→ルイ=ナポレオン大統領(後に皇帝ナポレオン3世)
オーストリア:ウィーン三月革命→メッテルニヒ亡命
プロイセン:ベルリン三月革命→国王が一時屈服
ハンガリー:コッシュートが独立宣言→オーストリアに鎮圧
イタリア:各地で蜂起→いずれも鎮圧
1848年革命――諸国民の春
1848年は「諸国民の春」と呼ばれるほどヨーロッパ各地で革命が連鎖した年です。フランスの二月革命でルイ=フィリップが倒れ第二共和政が成立、普通選挙が世界でいち早く導入されます。この余波でオーストリアではウィーン三月革命が起こり、ウィーン体制の象徴だったメッテルニヒが失脚・亡命しました。プロイセン・ハンガリー・イタリア各地でも蜂起が相次ぎます。これらの革命の多くは最終的に鎮圧されましたが、「一国一民族一国家」という国民国家の理念が広く共有されるようになり、イタリア・ドイツの統一運動の本格化につながりました。
練習
- 1830年のフランスの革命で退位した国王は誰か。
- 1848年のウィーン三月革命で失脚した人物は誰か。
- 1848年が「諸国民の春」と呼ばれる理由を説明せよ。