これはちょっと自己批判も含んだ話だ。「自分はやればできる」と思いながら、なかなか動けない——そういう経験、正直に言うと私にもある。本を読んで「わかった」気になる。誰かのビジネスを見て「こうすれば伸びるのに」と分析する。でも自分では何も始めない。なぜそうなるのか、心理学や認知科学の観点から少し掘り下げてみたい。批判的に語るより、「自分も含めてそうなりやすい」という目線で。
「知的な活動」と「実際の行動」を混同してしまう問題
SNSで鋭いコメントを書く。読書会でビジネスを分析する。飲み会で「俺があの立場なら」と語る——でも自分では何も始めない。このパターン、観察していると案外多い。そして自分の中にも、その傾向がないとは言えない。
心理学では「代替行動(substitution)」と呼ばれる現象がある。本を読むことで「勉強した」という充実感を得て、実際に勉強する必要性が主観的に下がる。ビジネス書を10冊読んで「準備が整った」と感じる。でも起業は1ミリも進んでいない。脳が「考えること」と「実際にやること」を、感覚的には区別しにくいのかもしれない。
これは意志が弱いとか、怠け者だということとは少し違う。脳の仕組みとして、情報処理(読む・考える・分析する)は達成感や満足感をもたらしやすい。だから「やった気」になりやすい。知っておくと少し扱いやすくなる話だ。
ダニング・クルーガー効果——わかっていないほど自信がある理由
1999年にコーネル大学のダニングとクルーガーが発表した研究がある。論理的推論、文法、ユーモアセンスのテストで、成績が最も低かったグループが、自分のスコアを最も高く見積もる傾向があった。
なぜそうなるか。自分の能力を正確に評価するには、その分野の十分な知識が必要だ。でも能力が低い人は「自分が何を知らないか」がわかっていない。だから自信を持てる。逆に高い能力を持つ人は、自分がまだ知らないことの膨大さを理解しているため、自己評価を低めに見積もる傾向がある。「インポスター症候群」に悩む優秀な人がいるのはこのためだ。
「やればできる」と言いやすいのは、やることの難しさが本当には見えていないからかもしれない。浅い知識は問題の複雑さを見えにくくする。見えないから怖くない。怖くないから「できる」と言える。そして行動しないから、いつまでも「できる」と言い続けられる——という構造がある。
これも批判より観察として見た方がいい。私も専門外のことに口を出すとき、同じ状態になっているはずだ。
行動しないことで「可能性」を守っている
精神分析の概念に「防衛機制」がある。自分を守るために無意識が使うメカニズムだ。「行動しないこと」もその一つとして機能することがある。
ロジックはこうだ。「やればできる」と信じている状態で実際にやって失敗したら、「できる自分」というアイデンティティが崩れる。でも「やらない」限り、「できる可能性」は永遠に保存される。失敗することができない——なぜなら挑戦していないから。
これは「完璧主義」とも深く関係している。「完璧にやれないなら始めない」という思考パターン。完璧な準備が整うまで待つ——でも完璧な準備が整う日は来ない。結果として、永遠に「準備中」のまま時間が過ぎる。自分を責めるより、この仕組みを知っておくことが先だと思う。
「ポジティブ思考」が行動を妨げることもある
「やれば絶対できる」という信念は一見ポジティブだ。でもこれが行動の障害になるケースがある。「絶対できる」なら「いつでも始められる」——だとすると「今始める必要はない」という結論が導ける。この「無限の可能性感覚」が、行動を先送りにする燃料になることがある。
心理学者のガブリエル・エッティンゲンの研究では、「ポジティブな空想(なりたい姿を鮮明に想像する)」だけを行ったグループは、実際の達成度が下がったという結果が繰り返し得られている。「できる自分」を想像することで、脳が「もう達成した」かのような満足を得てしまうらしい。
「ビジョンを持つこと」と「ビジョンだけで満足すること」は全然違う。思い当たる節がある人は少なくないと思う。私もある。
批評より実行、という話
SNSで観察していると、「批評する人」と「実際に作る人」の差が見えてくることがある。批評する側は毎日投稿して「いいね」をたくさんもらう。実行する側は投稿が少ない——なぜなら実際に何かをやっている時間に充てているから。
どちらが良い悪いという話ではないが、「体験から語る言葉」と「体験なしに語る言葉」には重さの違いがある。失敗を経験した人間の「この方法はうまくいかなかった」には、やったことがない人間の「こうすればいいのに」を圧倒する情報密度がある。批評の言葉は体験から生まれた言葉に勝てない、と思う。
下手でも始めることが全てだという話
分析を長々としてきたが、結論はシンプルだ。下手でも、小さくても、とにかく始めること。
「完璧な準備が整ったら」を待っている人に言いたいことがある(自分へも含めて)。完璧な準備が整う日は来ない。なぜなら「準備が完璧かどうか」は、やってみた経験によってしか判断できないからだ。やる前から準備を完璧にすることは、論理的に不可能に近い。
「批評するエネルギーの10分の1でいいので、何か実際に作ってみる」という習慣を一つ持つこと。荒削りのブログ記事でも、完成度30%のプロトタイプでも、ひとつの実験でもいい。「やってみたら思ったより難しかった」という体験こそが、次の思考の出発点になる。
「やればできる」は幻想かもしれない。でも「やってみたらこうだった」は現実だ。その現実の積み重ねが、自分の実際の位置を教えてくれる一番正確な情報源になる——そう思って、今日もとにかく何か一つ動かしてみようとしている。
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