中国周辺 / 秦・漢帝国と中華世界 5 / 6

漢の滅亡と三国時代への流れ

漢の滅亡と三国時代への流れ

後漢末期(2世紀末〜3世紀初)、宦官・外戚の専横と農民反乱が重なり、強力な中央集権が崩壊します。これが三国時代への分裂につながりました。

後漢の衰退

  • 外戚(皇后一族)と宦官(去勢された官僚)の権力闘争が激化
  • 豪族の台頭:地方で農民を支配する大地主が力を持つ
  • 黄巾の乱(184年):道教系の太平道が「蒼天已死、黄天当立」を掲げ大規模反乱。後漢政府は諸侯の軍事力を借りて鎮圧したため、地方軍閥が台頭
📘 三国時代への移行(220〜280年)
・220年:後漢滅亡→(曹操の子・曹丕)が建国
・221年:劉備が(漢)を建国、諸葛亮が軍師として補佐
・222年:孫権がを建国(のちに正式に229年)
三国は鼎立し半世紀以上争い続け、280年に晋が統一。しかし晋もすぐに分裂し、約270年続く五胡十六国・南北朝時代(分裂時代)に入りました。
この分裂期に仏教が広く普及し、北方民族の中国化(漢化)が進みました。

秦・漢時代の総まとめ

秦・漢の約450年間は、郡県制(中央集権)・儒教(国家イデオロギー)・漢字(文化の統一)・シルクロード(対外交流)という「中華世界」の基本的枠組みが確立された時代でした。この遺産は三国時代以降の分裂期を経ても変わらず受け継がれ、隋・唐の再統一へとつながっていきます。

練習

  1. 184年に起きた農民反乱の名称と、それが引き起こした政治的結果を答えよ。
  2. 三国時代の三国の名称と、それぞれを建てた人物を答えよ。
  3. 秦・漢時代を通じて確立された「中華世界」の基本要素を3つ挙げよ。
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